植物 vs 動物
楽しみにしていたこの本。ついに手に入れました!
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すばらしい本をありがとうございます!
チョー楽しい!!不思議な植物いっぱい!!
食虫植物もしっかり載っているのは、著者のファンとしてはとてもうれしかったです。
やっぱり植物はこういう変わった物があるからやめられない。
私も、ネペンテスを通して、植物と科学が少しでも世の中に浸透できるよう頑張りたいものです。
本書を読んでいて、以前の植物学者時代、新米研究者だったころに思いを思い出したので、書いてみました。
私がまだ植物学の世界に入って間もなかった頃、
微生物学出身の私にとって、植物の生理機能は全くの新しい世界でした。これまで培った技術が通用しなかったのです。
・細胞に細胞壁があること。
・DNAにスプライシングが起きること。
(DNAの不要な配列を捨ててスッキリお掃除することをスプライシングと言います。バクテリアにはありません。)
・育つのに長い時間がかかること。
(バクテリアは、ほんの少しでも菌体がいれば、翌日には1億匹くらいに増えます。透明な培養液がヤクルトみたいになります。)
・そもそも動かない事
同じ生物学でもここまで違うのかとびっくりしたものです。
当時私は、「植物はかわいそうなやつだ。動けず、暑さ寒さにさらされ、葉を食べられても逃げられないなんて。」なんて考えていました。
しかし先輩研究者(植物研究者)に言ったところ、「動物の方がかわいそう。生きるためにエネルギーを使って狩猟をしなければいけないのだから。植物は太陽さえあれば食べる事に困らないけど、動物は餌がなければ死んでしまう。」
という答えが返ってきました。
なるほど、そんな考え方もあるのか。。。
確かに生物は、生きるためにエネルギーが必要。
我々ヒトも何かを食べなければ死んでしまい、そのために動いて植物や動物を食べる。
環境が変われば移動したり、逃げることもできる。
行動に選択権や自由があるのは幸せなことだ。と感じていた。
しかし、
これは本当に自由なのだろうか?
自由なのは動物目線なのでは?
逆に考えて、
「動物は動かさざるを得ない状況を強いられている」とも考えられないかな?
動くというエネルギーコストを徹底的に放棄し、生物界に等しく存在する太陽光からエネルギー源を稼ぎ出す生態システム。
当時の学者気質の私には、生物的な感動しかなかったが、ビジネスマンに転身した今は、別の感動を覚えている。
「動かずして稼ぐシステムを構築した偉大な生物だなぁ。」
このシステムを構築して、4憶年以上の月日を生きながらえているのだ。
もちろん進化の過程で、動物が生まれて植物は捕食される側に回ってしまったため、動物の方が生態系の階層が上で、一概に不自由な存在とは言えない。
それは理解した上で、私は植物の無駄のない生体機能に勝るものは無いと考えている。(微生物学者として、微生物の生態システムもすごいんだぞ!と言いたいが、今日はそっちはしまっておこうwww)
植物は究極の不労収入所得者だー!!
さて、でも結局植物は動物に食べられてしまうわけで。
鹿なんかは植物を根こそぎ食べてしまうので、株自体も無くなってしまう。
えーーー、そんなの繰り返されたら無くなっちゃうじゃん。植物やっぱ不憫だ~~~。
とも、思う。
しかし!
植物の繁殖能力を侮るなかれ。
植物愛好家には、もはや釈迦に説法ではあるが、植物の種の伝播能力はすさまじく、現に生態系の最下位に分類される被捕食者であっても、世界中どこにでも植物は存在する。
動物は種を残すために大変な努力が必要だ。
メスの目を引くため、強くなくてはならず、また美しさで勝負する動物もいる。様々な工夫を凝らし、やっと種を残すことができる。
しかしそこには大きなエネルギーが必要で、闘争で負けて死んでいしまうものや、産卵前に力尽きてしまうものもいる。
よく考えると、エネルギーの効率が悪いとも思えてくる。
一方植物は、種で増え、根から増え、あまつさえ生殖しなくても胞子で増えることもできる。
自身の周りの環境にある、動ける様々なものを利用し、自身の生息域を拡大していく。これが昔から植物のやってきた生存戦略だ。しかもその増える数ときたら、とても捕食しつくせるほどの量ではない。
草刈りしようが、除草剤を撒こうが、必ず土のあるところに植物が顔を出すことを考えればその伝播力が感じられるであろう。
風を利用し、鳥を利用し、動物を利用し、さまざまなアウトソーシングを利用することで、自身の勢力を拡大することを可能としている。
まるで、会社同士win winの関係で業務の内容を拡大する企業戦略の様だ。
また、自身に深刻なダメージを負っても、種の絶滅を防ぐ術を無数に兼ね揃えているのが植物のとんでもない所だ。
人間、体を切られてしまったらもう再生はしない。あたりまえですね。(iPS細胞などの再生医療の発達で不可能ではなくなりましたが。)
しかし植物は違う。
切られても、すぐに脇芽が出てきて枝数を増やすことで生き延びることができる。
1本がやられたら2本出せ!と、生き伸びるために枝を増やして捕食に耐える工夫がなされている。枝ぶりが良くなればその分花を多く付けられ、実ができ種ができる。こうして増えることができる。
しかも、切った部分を土に差しておけば根が付き、新たに生育することができる。
挿し木と呼ばれる栽培方法だが、これもまた不思議だ。
動物でいうとプラナリアとかヒトデとか、限られた動物にしか備わっていない機能を、ほとんどの植物には当たり前のように標準装備されている。
栄養が無い土地で育ってしまうなど、株にストレスがかかると、花を早い段階で狂い咲かせるのも、自身を犠牲にしてとっとと子孫を残すためだ。
動物だったら餌が無ければ動けないし、生殖行為に及ぶこともできない。ましてや子孫を育てることもできないわけで。
普通死んでしまうような大変な事態を受けても、逆に自身の生存戦略へと逆手に取ってしまう植物の生理機能は、動物的な目線からは考えられない程のとんでもないシステムなのだ。
植物のストレス応答の話は、今後のブログネタに取っておくとして、自分で書いていて、植物の生理機能に改めて感銘を受けている。
なんだかちょっと怖くなってきたwww
人間は、こんなにヤバイ生き物を鉢に入れて鑑賞しているのか。
まぁ、植物みんなかわいいから観賞するの楽しいですし!!笑
小難しいことをムンムン考えてはいますが、、
結論!!
植物って楽しいーーーー!!!!
それでは!
See you next time!!